2026年8月18日、タイの内閣(クロム・ラッタモントリー)は、全国の学校に一律で髪型の自由化を義務付けるルールを作らない、という結論を出した。「規制を続ける」という話ではない。むしろ逆だ。すでに”髪型校則”は建前上ほぼ全廃されている国で、政府はあえて「国が一つの正解を決めない」という選択をしたのである。
一見すると地味なニュースだが、これはタイの教育現場で半世紀以上続いてきた「女子の髪をどう扱うか」という、非常に生々しい人権闘争の一区切りにすぎない。本特集では、タイ語の一次情報をもとにこの8月の決定の中身を解説しつつ、軍事政権時代の断髪令から、バリカン教師による”見せしめ刈り”、SNS世代の抗議運動、そして最高行政裁判所判決まで、タイの女子学生たちの髪をめぐる知られざる歴史をたどる。
■ 2026年8月、内閣が出した「答えない」という答え
タイの教育省(ศธ.)はここ数年、「もう髪型校則は全廃した」と繰り返し発表してきた。ところが現場では、学校ごとに旧来の規則が生き残り、「結局どこまで自由なのか」という混乱が続いていた。そこで一部の議員や市民団体が求めたのが、児童保護法(พ.ร.บ.คุ้มครองเด็ก พ.ศ. 2546)を改正し、髪型の自由を法律レベルで明文化することだった。
これに対して8月18日、内閣は「法改正は行わない」と結論づけた。理由は、同法はそもそも児童の福祉と権利保護全般を目的とした法律であり、髪型という個別具体的な事柄を書き込む性質のものではない、というものだ。
代わりに教育省が示した方針はこうだ。
- 髪型に関するルールは、各学校が「自校の実情や文脈に応じて」独自に定める
- ただしルール制定の際は、生徒・保護者・教員・学校運営委員会など関係者の意見聴取を必須とする
- どんなルールであっても「人間の尊厳」と「身体の自由」を侵害してはならない
- 懲戒・指導の場面でも、生徒の身体的自由に影響を与える方法(強制的な散髪など)は認めない
- 学校はルールの内容と運用を保護者・生徒に公開し、透明性を確保する
つまり「全国どこでも髪は自由」という単純な話にはせず、「決め方のルール」だけを国が定め、中身は現場に委ねたわけだ。教育省報道官は「規制緩和は無秩序を意味しない」ともコメントしている。学校単位の自治を認めつつ、子どもの権利という下限だけは国が保証する――なんとも”タイらしい”落としどころと言えるだろう。
だが、なぜここまで慎重に、しかも半世紀以上かけてこの話に決着をつけようとしているのか。それを理解するには、タイの学校が女子生徒の髪に何を強いてきたかを知る必要がある。

■ 発端は”軍事クーデター政権”――1972年、断髪は国家の命令だった
タイの学校髪型規則の起源は、軍事政権時代にまで遡る。1972年(仏暦2515年)、当時のクーデター政権「革命団」が発した「革命団布告第132号」が、生徒の髪型と化粧を国家として規制する法的根拠となった。これを受けて1975年(仏暦2518年)、教育省令第2号が制定され、生徒の髪の長さ・形状が事細かに定められる。
女子生徒に課されたのは、肩にかからない長さの、いわゆる「おかっぱ」スタイル。前髪は眉の上で切り揃え、パーマも染色も禁止。男子は耳や襟にかからない短髪が標準とされた。これは単なる「校則」ではなく、国家が国民の身だしなみを統制しようとした冷戦期の空気そのものだった。当時は「乱れた身なりは思想の乱れ」という発想が、教育行政の根底にあったとされる。
■ 2000年代――「ティンフー」という名の恐怖
時代が下って2000年代に入っても、規制はむしろ細かく、厳格になっていった。女子生徒に定番となったのが「ทรงติ่งหู(ティンフー=耳たぶ丈のショートボブ)」。耳が完全に見える高さで切り揃えられた、いわゆる”キノコ刈り”に近いスタイルだ。男子は地肌が透けるほど短い「เกรียน(クリアン=丸刈り)」。
問題はルールの中身以上に、その運用にあった。多くの学校では新学期の始業式に「散髪検査」が行われ、規定より長い生徒はその場で教師によって強制的に髪を切られた。しかも整えて切るのではなく、わざと不揃いに、見せしめのように刈られるケースが後を絶たなかったといわれる。こうした教師たちは生徒の間で自嘲気味に「ครูบาเบอร์(バリカン先生)」と呼ばれた。2019年から2020年にかけて、SNS上にはこうした被害を訴える投稿が相次いで拡散し、社会問題化していく。

■ Z世代の反乱――「ナックリアン・レーオ(悪い生徒たち)」の登場
タイ社会が大きく揺れた2020年、反政府デモが全国に広がる中で、学生たちも独自の声を上げ始めた。制服・体罰・そして髪型という「学校内の権威主義」を問い直す学生団体「นักเรียนเลว(ナックリアン・レーオ=悪い生徒たち)」が結成され、大規模な抗議運動を展開する。「私の髪は私のもの」というシンプルなメッセージは、当時の政治的な自由化要求とも重なり、大きな共感を呼んだ。
この機運を受けて教育省は2020年5月1日、新しい規則を公布。「髪型は短髪でも長髪でもよい」と明記された、当時としては画期的な内容だった。ところがここに落とし穴があった。条文には「適切さ(ความเหมาะสม)を欠かないこと」という一文が残されており、この曖昧な表現を根拠に、多くの学校が実質的に旧来の規則を維持し続けたのだ。「自由化されたはずなのに、何も変わらない」という失望の声が広がった。
■ 2023年の”全廃宣言”、そして2025年の司法判断
風向きが変わったのは2023年1月24日。当時の教育大臣は、2020年規則そのものを廃止し、「髪型の基準は各学校が独自に定める」という、より踏み込んだ方針を打ち出す(パーマ・染髪・ひげ等については引き続き制限の対象とされた)。
しかし、これで話は終わらなかった。実は行政の内部には、1975年制定の教育省令第2号――あの軍事政権由来の規定――が、正式に廃止されないまま条文上生き続けているという矛盾が残っていた。この点を突いたのが2025年3月5日の最高行政裁判所判決だ。裁判所は同省令を正式に無効と判断し、「現在の社会状況にそぐわず、児童保護法の趣旨に反する」と明言。特に、画一的な髪型強制が性自認・性表現の多様な生徒の精神面に悪影響を及ぼしかねないという点にまで踏み込んで指摘した。
これによって、半世紀以上にわたり生き続けてきた”軍政の置き土産”は、法的にも完全に効力を失うことになる。教育省報道官はこれを受けて「もう髪型規則は100%廃止された」と改めて強調し、「異なる意見にも開かれた姿勢で、子どもの権利を見過ごさない」とコメントしている。

■ 大学ではどうか――自由化の”最前線”と残る同調圧力
小中高が半世紀がかりで自由を勝ち取る一方、大学キャンパスの女子学生の髪型はもともと校則の対象外で、比較的自由だったというのが実情だ。しかし自由には別の重力が働く。新入生を対象にした通称「ラップノーン(新入生歓迎行事)」文化、いわゆる「SOTUS(先輩後輩の上下関係を重んじる制度)」の中では、学部やサークルによって「新入生らしい髪型」を暗に求められる同調圧力が根強く残っているとの指摘もある。
とはいえ近年は、パーマ、インナーカラー、ロングレイヤーなど、SNSで話題のトレンドヘアを楽しむ大学生の姿がタイのファッションメディアでも日常的に取り上げられるようになった。かつて「規則で許されなかった髪型」が、いまや個性を表現するファッションの主戦場になっている――この対比こそが、タイの女子学生の髪型史の到達点と言えるだろう。

■ “自由”の次に来る課題――現場に委ねられた重い宿題
今回、2026年8月の内閣決定が示したのは、「国家が一律に髪型を決める時代は終わった」という宣言であると同時に、「では誰が決めるのか」という新たな問いの始まりでもある。教育省が示した「生徒・保護者・教員の意見を聴いてから校則を作る」という手続きは、言い換えれば、これまで一方的に押しつけられてきた校則の”作られ方”そのものを変えようとする試みだ。
もっとも、実際に生徒の声がどこまで反映されるかは、学校ごとの姿勢に委ねられている。50年続いた「国のルール」がなくなった今、次に問われるのは3,000校以上ともいわれるタイの学校ひとつひとつの現場力ということになる。断髪令に始まったこの物語は、ようやく「誰が髪型を決めるべきか」という、本来あるべき問いにたどり着いたところなのかもしれない。
タイの女子学生・髪型史 早わかり年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1972年(仏暦2515) | 革命団布告第132号により、軍事政権が生徒の髪型・化粧を規制する根拠が成立 |
| 1975年(仏暦2518) | 教育省令第2号制定。女子は肩にかからない「おかっぱ」、男子は短髪が標準に |
| 2000年代 | 「ティンフー(耳丈ボブ)」「クリアン(丸刈り)」が定番化。始業式での強制散髪が社会問題に |
| 2020年 | 学生団体「ナックリアン・レーオ」結成、抗議運動拡大。5月、教育省が新規則公布も”抜け穴”残る |
| 2023年1月 | 教育省、2020年規則を廃止。各校が独自基準を策定する方式へ |
| 2025年3月 | 最高行政裁判所、1975年省令を無効と判断。半世紀続いた規制が法的にも消滅 |
| 2026年8月 | 内閣、児童保護法改正は見送り。「各校が関係者の意見を聴いて独自に決定」という枠組みを正式確認 |