保健省が警鐘 コロナ後に高止まり、性感染症統計も急伸 2030年目標に黄信号

タイで長年減少を続けてきたHIV(エイズウイルス)の新規感染者数が、ここ数年は8000~9000人台で高止まりし、新型コロナウイルス流行下で落ち込んだ2021年と比べ3~4割増えていることが、タイ保健省疾病管制局(DDC)などの統計で分かった。とりわけ深刻なのは、新規感染者のほぼ半数を15~24歳の若年層が占める状態が定着している点だ。表向きは「長期的な減少トレンド」とされてきたタイのHIV対策だが、水面下では感染の中心が若年世代へと静かに移っている実態が浮かび上がる。(新規感染者数の推移はグラフ参照)
DDCが毎年公表する「State of HIV Epidemic in Thailand」によると、新規感染者数は2020年が6628人、コロナ下で医療・検査体制が制約された2021年は6485人まで落ち込んだ。ところが検査・報告体制が回復した2022年には9230人へと4割超急増し、2023年9083人、2024年8124人と、いずれも9000人前後の高い水準が続いている。タイ保健省が2026年に入って明らかにした2025年分の速報値も8862人となお高水準だ。現地報道によれば、流行がピークだった1990年代半ばには新規感染が推定で年17万人規模に達したとされ、その後2010年に1万7000人、2015年に1万2000人まで減った。この長期の改善トレンドに比べると、直近5年間は明確に足踏み状態にある。

タイ赤十字社エイズ・感染症研究センターのオーパス・プッタチャロン副所長(准教授、内科医)はタイ地元紙の取材に対し、「過去5~6年、新規感染は年8000~9000人で高止まりしている。治療法の改善で『HIVは怖い病気』という感覚が薄れ、予防意識がむしろ低下している」と危機感を示す。同氏によれば、タイ国内の推定累計感染者約50万人のうち、なお6万人近くが自らの感染に気づいていないという。政府が掲げる「2030年までに公衆衛生上の脅威としてのエイズを終結させる」目標では新規感染を年1000人未満に抑えることが目安とされており、現状の水準はこの目標達成に赤信号をともしている。
より深刻なのが年齢構成の変化だ。DDCの年次統計では、新規感染者に占める15~24歳の割合は2021年49.4%、2022年47.4%、2023年46.6%、2024年48.7%と、この4年間ほぼ一貫して半数近くに達している。北部チェンマイ県では2025年10月~2026年1月の4カ月間だけで新規173人が見込まれ、月平均44人、新規感染の49%を15~24歳が占めるとの地元衛生当局の集計もある。チェンマイ県感染症対策課のソンヨス・カムチャイ課長は「コンドーム使用の啓発活動や、曝露前予防薬(PrEP)、自己検査キットの普及を強化する必要がある」と述べ、国際NGOエイズ・ヘルスケア財団(AHF)タイのクリッシアム・アラヤウォンチャイ・カントリープログラム局長も学校・地域での啓発キャンペーンを進めている。
若年層での「静かな流行」を裏付けるのが性感染症の統計だ。タイ保健省の集計では、梅毒の罹患率(人口10万人当たり)は2018年の11から2023年には28.1へと2.5倍に上昇。15~24歳に限ると27.9から91.2へと約3.3倍に跳ね上がった。感染症対策当局者は地元メディアに対し、リスクの高い層では3~4年前と比べ感染者数が6倍に増えたグループもあると指摘し、「若年層でコンドームの使用率が低下している」と分析する。専門家は、避妊具使用への抵抗感の薄れに加え、羞恥心やスティグマ、性的少数者(LGBTQ+)への差別への懸念から、リスクを自覚していても医療機関を敬遠する若者が多いことも背景に挙げる。国際的な資金支援の縮小で、青少年向けHIVサービスの提供能力が施設によっては2~3割低下しているとの指摘もあり、財政面の逆風も予防体制の重荷となっている。
タイ政府はPrEPや自己検査キットの普及、若者向け相談窓口「レインボー・クリニック」の拡充などで巻き返しを図るが、利用者に占める若年層の割合はなお1割程度にとどまるとされる。長年「優等生」とされてきたタイのHIV対策は、治療の充実がもたらした「気の緩み」と、若年層特有の心理的障壁という新たな課題に直面しており、2030年目標の達成には対策の再設計が急務となっている。