タイの街を歩けば、朝夕の通学時間帯に必ず目に飛び込んでくる光景がある。白いブラウスに紺やダークグレーのプリーツスカート、そして胸元で光る大学バッジ――「チュットニシット(ชุดนิสิต)」「チュットナクスクサー(ชุดนักศึกษา)」と呼ばれる、タイ独自の”大学制服”文化だ。
日本の大学にはほぼ存在しない習慣だが、タイでは国立・私立を問わず、ほぼすべての大学に独自の制服規定があり、しかもその歴史は一枚のブラウスやスカートの丈をめぐって、王政、軍事政権、学生運動、ジェンダー論争にまで発展してきた、実に骨太な”社会史”でもある。本誌ではタイ語の一次資料にあたりながら、バンコク都内の名門大学を中心に、その歴史と現在地を追った。
第1章 制服はラーマ5世から始まった
タイの学生服の制度化は、意外にも100年以上前にさかのぼる。タイ語の教育史資料によれば、王令によって学生服が正式に定められたのはラーマ5世(チュラロンコン大王)の時代。当初の男子生徒の服装は、校章の刺繍が入った麦わら帽子、金ボタン付きの白い上着、黒いズボンという出で立ちだった。女子生徒の制服が体系的に整うのはそれよりやや遅れ、仏暦2456年(西暦1913年)頃とされる。当時は伝統的なスカートに校章のスカーフを合わせるスタイルが基本だったという。
その後、都市部ではグレーのシャツが認められたり、中等教育段階でカーキ色のユースカデット(青年団)風の制服が導入されたりと、時代ごとに細かな変遷を経てきた。つまりタイの学生服は、単なる”かわいい制服文化”ではなく、近代化・国民統合政策の一部として国家が主導してきた歴史を持つ。この文脈を知っておくと、後述する大学制服の”政治性”がぐっと理解しやすくなる。
第2章 制服が”政治”になった日――タマサート大学の場合
大学制服の歴史でもっとも劇的なドラマを持つのが、タマサート大学だ。同大学は1932年の立憲革命後、「民主主義を担う人材の育成」を掲げて設立された、いわば”自由の学び舎”である。ところが1960年代、タノム・キッティカチョーン元帥が学長を務めた時期(仏暦2503~2506年、西暦1960~1963年)、「共産主義の浸透を防ぐ」という名目で、学生に制服の厳格な着用を義務づける方針が強力に推進された。タノムがのちに首相に就任すると、この統制は全国の高等教育機関にまで拡大されていく。
学生数が4千人規模から1万4千人超へと膨張してもなお、この”制服による統制”は続いた。転機が訪れたのは1973年10月14日。民主化を求める学生運動の高まりとともに、学生たちは日常的な制服着用をやめ、試験や公式行事の時だけ着用するスタイルへと切り替えていく。1976年の10月6日事件のあと軍事政権が再統制を試みた際も、大学側は「学問の自由を損なう」として抵抗したと伝えられる。
そして2023年10月、レシニー・ウィトゥーラチャット学長のもとで、タマサート大学はついに制服の着用義務そのものを撤廃した。「服装は個人の選択であり、多様な性自認を尊重するため」という説明は、100年近く続いた”国家と学生服”の関係史に、ひとつの区切りをつけたと言っていい。
第3章 大学図鑑――名門校のユニフォームを見比べる
タイの大学制服は、ネクタイの色やボタンのデザインひとつで出身校がわかる”記号”でもある。バンコクを代表する名門校を、タイ語の学生生活情報や各大学公式サイトの情報をもとに紹介する。
チュラロンコン大学――「プラケーオ」が語る伝統の重み
タイ最古の大学であり、王室とのゆかりも深いチュラロンコン大学。制服の起源は王立学校時代にさかのぼり、現行デザインの多くは仏暦2520年(1977年)以降に整えられた。女子学生の制服が正式に確立されたのは1977年、医学部に初めて女子学生が入学した際、「白いシャツ、紺のサロン、黒い靴」というスタイルからスタートしたという記録が残る。
現在の女子制服の規定は非常に細かい。白シャツの胸元には「プラケーオ(กระดุมพระเกี้ยว)」と呼ばれる、大学の紋章(プラケーオ=王冠の意匠)をあしらった銀色のボタン・バッジを5つ、右胸には同意匠のブローチ状の留め具を装着する。スカートは紺または黒のプリーツで膝下丈、ベルトは茶色の革製と定められている。ちなみに、この「プラケーオ」バッジは偽造品も出回っており、本物は「銀メッキで紋章の輪郭が鮮明、洗濯を重ねても色褪せしにくい」とされ、試験当日に規定違反と判断されると教官から入室を拒否されることもあるというから、なかなかにシビアな世界だ。

タマサート大学――”脱・制服”を選んだ自由の学び舎
前述の通り、2023年に着用義務を撤廃した先進校。もっとも撤廃後も、多くの学生が慣習として白シャツに紺・グレー系のボトムスという伝統的なスタイルを試験期間などに着用し続けているのも興味深い点だ。強制がなくなったからこそ、あらためて”自分たちの制服”として選び直されている――そんな逆説的な現象が起きている。

カセサート大学――農学の名門は「緑のネクタイ」
農学分野で知られるカセサート大学の男子学生は、大学のシンボルカラーである緑色のネクタイが目印。女子学生は黒のプリーツスカートに白い靴を合わせるスタイルが基本とされる。SNS上では新入生が入学初日に制服姿で記念撮影する投稿が定番のコンテンツになっており、”制服デビュー”は今も大学生活の通過儀礼のひとつだ。

シラパコーン大学――芸術大学らしいモノトーン基調
タイ屈指の芸術大学であるシラパコーン大学は、男子が緑のネクタイに黒いズボン、女子が黒のプリーツスカートに白いスニーカーという組み合わせが特徴。ローファーではなくスニーカーが公式に認められている点に、アートスクールらしい柔軟さがにじむ。

マヒドン大学――医療系名門の”実用重視”スタイル
医学・保健科学系で名高いマヒドン大学は、濃紺またはダークグレーを基調にしたシンプルな制服規定を採用。白シャツに紺またはダークグレーのスカート(女子)、同色のズボン(男子)という組み合わせで、過度な装飾よりも清潔感と実用性を重視する校風がうかがえる。

番外編:ラムカムヘン大学――「制服なしでも学べる」開かれた大学
タイ最大級の学生数を誇るオープン・ユニバーシティ、ラムカムヘン大学は、他大学に比べて服装規定が緩やかなことで知られる。授業への出席よりも自学自習と試験が中心という同大学の性格上、”制服文化”そのものへの向き合い方も他校とは一線を画す。この対比だけでも、タイの大学制服が一枚岩の制度ではないことがよくわかる。
第4章 なぜタイだけ、これほど”大学制服”が根付いたのか
日本や欧米の大学にはほぼ存在しない大学制服文化が、なぜタイでこれほど強固に残っているのか。タイ語圏の議論を追うと、いくつかの見方が浮かび上がる。
ひとつは前述の通り、近代化政策の一環として国家が主導してきた歴史的経緯。もうひとつは、私服の購入コストを抑え、学生間の経済格差を可視化させないという実務的な理由。そして近年強まっているのが、「制服は個人のジェンダー表現や快適性を制限するものではないか」という、タマサート大学の決定にも表れた価値観の変化だ。
一方で、SNS時代の今、大学制服は”タイらしいカルチャー”として国内外から一種のノスタルジックな関心を集めてもいる。映画やドラマでも学生服姿の青春群像はたびたび描かれ、時代ごとのデザインの変遷を懐かしむ特集がタイのメディアでも組まれるほどだ。伝統と自由、規律と多様性――タイの大学制服は、その両方のせめぎ合いの最前線にある。
本記事はタイ語の大学公式サイト・報道記事等の一次情報をもとに構成しています。制服規定は改定される場合があるため、最新情報は各大学公式サイトをご確認ください。


