タイに住んで一年もすれば、誰でも一度はこの手の話を耳にする。
深夜のソイ(路地)で誰もいないのにガチャガチャと音がする屋台。田舎道でヒッチハイクしてきたのに、後部座席を振り返ると誰もいない女。マンションの高層階、ベランダに立つはずのない人影——。「タイは仏教国だから穏やかで敬虔」なんてイメージを持っている人ほど、面食らうことになる。実はタイほど”ガチのオカルト”が生活に溶け込んでいる国も珍しい。コンビニの前に立つ精霊祠(サーンプラプーム)、タクシーのバックミラーに吊るされた花輪、施主が僧侶よりも先に頼るのはむしろ”モーピー(霊媒師)”だったりする。
今回、編集部はタイ各地に伝わる民間伝承・文献、そして現地で語り継がれる怪談の中から「タイ人なら子どもの頃に必ず聞かされる」レベルの知名度を誇る”最恐”の怪異10体を厳選。ランキング形式でお届けする。前編となる本稿では第10位から第6位まで。後編ではいよいよベスト5、そしてタイ怪談の”顔”とも言うべき国民的女性幽霊が登場する。夜、一人で読むのはおすすめしない。
第10位 ピー・ターイホーン(ผีตายโหง)——「非業の死」を遂げた者、すべてがコレになる

ランキングの最後を飾るのは、特定の一体を指す名前ではない。「ピー・ターイホーン」とは、事故死・殺人・自殺・水死など、天寿を全うせずに”非業の死”を迎えた人間の霊全般を指す、いわばタイ怪異界の”総称カテゴリー”だ。だがこれが侮れない。タイでは今もなお、交通事故の多発地点や凶悪事件の現場に小さな祠が建てられ、花や飲み物が供えられている光景を頻繁に見かける。理由は単純明快、「無念のまま死んだ霊は成仏できず、その場に居着いて祟る」と本気で信じられているからだ。
不動産業者ですら例外ではない。物件情報に「変死歴あり」は事実上の”事故物件”扱いとなり、価格が下がることも珍しくない。カーブが多い峠道や大きな交差点で不自然に事故が続くと、地元住民は真っ先に「ここはターイホーンが多いから」と口を揃える。科学的根拠うんぬんより先に、供養の儀式(タンブン)が執り行われるのがタイ流だ。
◆MEMO
タイの田舎道を車で走っていて、やたらと花輪や氷入りの赤い炭酸飲料(ファンタなど)が供えられた祠を見かけたら要注意。その先はカーブがきつい”魔の区間”かもしれない。
第9位 ピー・プラーイ(ผีพราย)——足首をつかむ”水の亡者”

プールや川で泳いでいるとき、突然足首を何かにグイッと引っ張られた経験はないだろうか。タイではその”何か”の正体が古くから語られている。ピー・プラーイは水難事故で亡くなった者の霊とされ、運河や川、貯水池といった淀んだ水の底に潜み、生きている人間の足を引きずり込むと信じられている怪異だ。しかも一人で溺れて満足するタイプではない。「自分の代わりに誰かを引きずり込むことで、その人間が新たなプラーイとなり、自分はようやく成仏できる」という、いわば”身代わり連鎖”の恐怖が根底にある。
タイ全土の河川や運河で水難事故が起きるたびに、地元メディアや近隣住民の間で真っ先に囁かれるのがこのプラーイの存在だ。バンコクの下町を縫うように流れる運河(クローン)沿いの住民に聞けば、十中八九「昔ここで人が死んだ」という話とセットで語ってくれるだろう。
第8位 ナーンターニー(นางตานี)——バナナの木に宿る”待つ女”

タイの田舎で「夜、実をつけていないバナナの木(クルアイ・ターニー)の下にハンモックを吊るして寝てはいけない」という言い伝えを聞いたら、それは本気の忠告だと思っていい。ナーンターニーは、まだ実を結んでいないバナナの木に宿るとされる若く美しい女性の精霊。満月の夜、伝統的なタイ衣装をまとって木の傍らに佇む姿が目撃されるといい、決して凶暴な怪異ではないのだが——男性を”呼び寄せる”力があるとされ、うっかり見惚れて声をかけると、そのまま行方不明になるという話が後を絶たない。
興味深いのは、この精霊が単なる恐怖の対象にとどまらず、時に「宝くじの当選番号を教えてくれる」縁起の良い存在としても信仰されている点だ。バナナの木の根元に赤い布を巻きつけ、線香を供えて番号を”お願い”する庶民の姿は、タイの田舎ではごくありふれた光景である。恐怖と御利益が同居する、いかにもタイらしい怪異といえる。
第7位 クラハン(กระหัง)——尻臼(きねうす)を背負って夜空を飛ぶ男

次点で紹介するのは、次点のクラスー(この後、後編で堂々のランクインを果たす国民的モンスター)の”男版”にして永遠のライバル、クラハンだ。黒魔術(サイヤサート)の修行に失敗した、あるいは禁を破った男の成れの果てとされ、夜な夜な竹製の唐箕(とうみ・穀物を選別する農具)を翼のように、そして杵(きね)を胴体のように操って空を飛び回るという、なんとも奇妙なビジュアルの怪異だ。
クラスーが不気味な”美”を纏う存在として語られるのに対し、クラハンはどこかコミカルかつ不吉な”厄介者”として描かれることが多い。田畑を荒らしたり、家畜を驚かせたりするいたずら好きな一面がある一方で、正体を見破られると激しく祟るとも言われる。地方の年配者に聞くと「祖父の代には本当に空を飛ぶ音を聞いた者がいた」と、妙に具体的な”目撃談”が返ってくることも少なくない。
第6位 ピー・アム(ผีอำ)——タイ人のほぼ全員が体験済みの”金縛り霊”

上位に食い込むにはまだ早いが、知名度・体験率という点では実質トップクラスなのがこのピー・アムだ。日本でも「金縛り」として知られる睡眠麻痺(スリープ・パラリシス)現象、タイではこれを医学的な説明より先に「霊に押さえつけられている」と表現する。夜、意識ははっきりしているのに体がまったく動かず、声も出せない——その”何か”に胸の上に乗られている感覚こそがピー・アムの仕業だとされてきた。
面白いのは、これほど”科学的に説明可能”な現象でありながら、タイでは今なお日常会話に「ゆうべピー・アムにやられた」というフレーズが自然に登場する点だ。対処法として語り継がれているのは、無理に叫ぼうとせず親指を動かすこと、そばで寝ている人に触れてもらうこと、あるいは経文を心の中で唱えること。医学と信仰が矛盾なく同居しているあたり、タイの怪異観の懐の深さを感じさせるエピソードだ。
次回、後編ではいよいよベスト5を発表。木の精霊が語る”当たりくじ”の噂、赤ちゃんの霊を宿すという禁断の護符、そして村ぐるみで”祓う”しかない生き霊の恐怖——さらにその先には、タイ人なら誰もが知る”国民的幽霊”が待っている。後編もお楽しみに。