役所の窓口に立った23歳の男は、まだ生まれて間もない赤ん坊の父親欄に、自分の名前を書き込んだ。だがその子と男の間に、血のつながりはなかった。タイ北部チェンマイ県チャイプラカーン郡で2026年8月21日、出生届をめぐる偽装が発覚し、ラフ族出身のタイ国籍の男(23)が摘発された。
タイのSNSで「ポー・ティップ(幻の父)」と呼ばれる手口である。
交際2カ月、同居を始めたとき彼女はすでに妊娠6カ月だった
当局の調べによると、男が父親として届け出た子の母親は、タイ国籍を持たない女性。男は取り調べで、交際の実態をこう説明したという。
「彼女と付き合い始めて2カ月です。一緒に住み始めたとき、もう妊娠6カ月でした」
時系列だけを見れば、生物学的な父親でありえないことは明らかだ。それでも男は、病院が発行した出生証明書の父親欄に自分の氏名を記載させ、その書類を持って郡役所に届け出た。当局がDNA鑑定を求めると、男はこれを拒否したとされる。
「2カ月の交際で認知する親子関係などない」と郡長
チャイプラカーン郡のパティコーン・エイエムサアート郡長は、事案の性質を明確に切り分けた。
「これは『幻の父』制度を使った詐欺です。交際2カ月で認知するというのは、正当な親子関係ではありません」
タイでは、父親がタイ国籍を持つ場合、子の国籍取得や住民登録の手続きが大きく変わる。国境に近い北部の県では、無国籍状態の子どもに身分証明の道を開くために、対価と引き換えにタイ人男性が「父親役」を引き受ける事例が繰り返し摘発されてきた。善意の支援に見える形をとりつつ、実態はブローカーが介在した売買であることも少なくない。
SNSでは「制度の穴」に議論
報道を受け、タイのSNSでは「役所は書類だけで判断するから通ってしまう」「DNA鑑定を拒否した時点で答えは出ている」「本当に困っている無国籍の子どもの道まで狭くなるのが心配だ」といった趣旨の投稿が交わされた。厳格化を求める声と、無国籍児の救済を求める声が同時に上がるのが、この問題の難しさだ。
当局は男の立件方針を固めるとともに、同様の届け出がほかにもないか、郡内の記録を洗い直している。
紙の上でなら、人は2カ月で父親になれる。書類の空欄が、これほど軽く埋まってしまう国はそう多くない。