
タイ中部・東部を襲った豪雨による洪水で、政府は治水の軸足を「降雨対応」から「ダム放流の管理」へ移しつつある。首都バンコク中心部では雨が弱まり水が引き始めた一方、上流の貯水池は満水に近づいており、放流量の引き上げが相次ぐ。10月上旬にかけてチャオプラヤ川流域の水位は一段と上がる見通しだ。もっとも北部の二大ダムには十分な空き容量が残り、日系企業にも甚大な被害が出た2011年の大洪水の再来は避けられるとの見方が大勢となっている。
被災は27県、損失は最大206億バーツ
9月29日時点で、洪水の影響は27県とバンコクの計57万6449世帯、約179万人に及び、死者は19人に達した。バンコク都は25日以降の豪雨を受けて都内全域を災害地域に指定。ラカバン、バンカピ、ミンブリなど東部8区では約30万世帯が10〜30センチ超の浸水に見舞われている。
タイ商工会議所大学(UTCC)は、9月25〜29日の経済損失を122億8000万バーツ(GDPの0.066%)と試算した。浸水が長引けば損失は最大206億3000万バーツに膨らむ。地域別ではバンコクが全体の57%を占める。アヌティン首相は自ら対策の陣頭指揮を執り、被災世帯への9000バーツの一律支給や、2026年度予備費から20億バーツの拠出を決めた。
焦点はパサック・ダム
いま最も警戒されているのが、中部ロッブリー県のパサック・チョラシット・ダムだ。9月22日時点で65%だった貯水率は、28日には96.49%(8億4094万立方メートル)まで急上昇した。流入量は毎秒737.78立方メートルと、放流量(同25.07立方メートル)の約30倍に達する。
今後7日間の流入量は3億7322万立方メートルと予測され、残る空き容量(約3000万立方メートル)を大きく上回る。王立灌漑局(RID)は放流量を9月30日に毎秒115立方メートル、10月1日に同230立方メートル、2日に同400立方メートルへと段階的に引き上げる計画で、足元から5日間で約16倍になる計算だ。下流のパサック川の水位は3.5〜4メートル上昇する見込みで、RIDは「堤防の内側に収まる」と説明する。
パサック川が本流に合流するアユタヤ県のラーマ6世堰(せき)ではすでに毎秒約700立方メートルが流入し、最高警戒の「赤旗」が掲げられた。周辺にはバンパイン、ナコンルアン、ハイテク(バンワー)の各工業団地が集まる。タイ工業団地公社(IEAT)は最高レベルの警戒態勢を敷き、堤防や遊水池、非常用電源付きのポンプを稼働させている。
チャオプラヤ・ダムは毎秒2500トンも視野
本流のチャオプラヤ川では、チャイナート県のチャオプラヤ・ダム(堰)の放流量が28日正午に毎秒2000立方メートルへ引き上げられた。RIDは同ダム地点の流量が毎秒2200〜2400立方メートルに達すると予測しており、状況次第で2500立方メートルまでの増量もありうるとしている。上流のナコンサワン県C2観測所の流量は同日午前10時時点で毎秒1918立方メートルで、堤防の上端まではなお3.69メートルの余裕がある。
2011年との比較では、状況の違いが鮮明になる。
| 指標 | 2026年 | 2011年 |
|---|---|---|
| プミポン・シリキット両ダムの貯水量 | 158億6800万m³(69%、9月25日) | 215億5900万m³(94%、9月26日) |
| 両ダムの空き容量 | 約71億m³ | 約14億m³ |
| C2観測所の流量 | 毎秒1795m³(9月25日) | 毎秒4254m³(9月26日) |
| 9月中旬までの累積雨量 | 1032.6mm | 約1826mm |
11年は両ダムがほぼ満水となり、大量放流を余儀なくされたことが中部の工業団地群を水没させる一因となった。今回は空き容量が当時の約5倍あり、北部からの水を貯め込む余地が大きい。C2の流量も当時の半分以下にとどまる。
西部・東部は「満水ダム」が相次ぐ
ただ、全国の貯水率は28日時点で77%(618億800万立方メートル)と高水準にある。チャオプラヤ川・メークロン川流域を含む西部は89%、東部は85%に達し、地域ごとの偏りが目立つ。
西部カンチャナブリ県では、ワチラロンコン・ダムが27〜28日に放流を一時停止し、シーナカリン・ダムは下流への流出を抑えるため水を貯水池へ揚水して戻す異例の運用に踏み切った。それでも下流のメークロン・ダムは毎秒1313立方メートルを放流しており、今後は同1500立方メートル超へ増やす方針だ。下流の水位は約2.5メートル上がる見込みで、ラチャブリ、ナコンパトム、サムットソンクラーム、サムットサコンの各県に警戒を呼びかけている。
東部ではラヨーン県のプラセー貯水池が容量の112%(3億3100万立方メートル)に達して洪水吐(ばき)からの越流が続く。カオチュック土堰堤では洪水吐の袖部が浸食された。政府は「決壊ではなく損傷」と強調するが、ナコンナヨク県のクンダン・プラカンチョン・ダムも満水で、平常水位に戻すには1日1500万立方メートルの放流を3〜7日続ける必要がある。
「雨は峠越え、水は峠前」
タイ気象局は9月29日から10月3日にかけて降雨が弱まると予報している。バンコク都は主要運河の排水に3日程度かかるとみる。ただ、上流で降った雨がダムと河川を経て下流に届くまでには時間差がある。パサック・ダムの放流が最大となる10月2日前後から、チャオプラヤ川下流のアユタヤ、パトゥムタニ、ノンタブリの各県では水位が高止まりする可能性が高い。
リスクは残る。中部の雨期は例年10月中下旬まで続き、この間に熱帯低気圧が接近すれば、満水に近い支流ダムは再び放流を増やさざるを得ない。河口部で潮位が高まる時期と重なれば、バンコク周辺の排水能力も落ちる。タイ工業連盟(FTI)は加盟企業に対し、少なくとも10月3日まで事業継続計画(BCP)の再点検や従業員、設備、サプライチェーンの保全を求めた。
大型ダムの余力が「2011年型」の広域浸水を防ぐ防波堤となる一方、満杯の支流ダムと10月の天候が当面の不安材料だ。政府は10月1日に全国約3000万世帯を対象とする災害保険制度(予算155億バーツ)を始動させる。放流と降雨の両にらみの治水運用が、今後2週間の焦点となる。